2011年3月アーカイブ

ナオエのドンキー日記 2011 3月

3月31日
 歩いてマッサージ。そこから飲みへ。
 恵比寿。スペイン料理の気楽な立ち飲み屋できのこやエビに舌鼓。あとはセイリン・シューズに移動してずっと飲んでた。この日常において、確実に非日常の影が人の心を浸食している。ブラウンノーズたちの心境を常に思う。なかなか連絡できない。まず、こっちがもっと元気を出さないと。始発まで駅近くの飲み屋でカニマヨロールみたいな寿司をつまむ。
 朦朧。電車に揺られる。こういう時、常磐線はいつもあっという間に江戸川を渡る。

3月30日
 小さな趣味に徹するのだ。夕方、ディスク・ユニオンへ。中古LP、Catfish Hodge『Dinosaurs and Alleycats』。
 大好きなナバラタン・ヴェジタブルと中ジョッキで気付け。食ったので1時間早足で歩いて帰宅。放射能がどうであれ、今は歩くのがいい。
 深夜、ロビー・ロバートソンの深淵なる新譜を聴く。
BGM : ロビー・ロバートソン 『ハウ・トゥ・ビカム・クレアヴォヤント』

3月29日
 いろんな思いを抱えて花を見て祈るべきだ。今、花見を自粛したところで浮かばれるたましいなんてあるのだろうか?
 ここぞとばかりに『ゴダールの映画史』1Aと1Bを。その昔、衛星で部分的に観て以来。
BGM : Joni Mitchell 『Ladies of the Canyon』

3月28日
 仕事。8時半起き。JFNに生出演で「ANGEL」を弾き語る。
 お堀に出て、北の丸公園を経由して神保町までかなり歩く。古本屋をしっかりと覗いて(何も買わず)、ランチョンでポーク・ソテーとビール。こういう時は好きなものをちゃんと食べたいよな。
 原発敷地内にある5か所の土壌から、微量のプルトニウムが検出されたというニュース。
 夜中に首都高速。葛西から荒川沿いを走りながら眺めた東京の街は別世界...。なんでこんなことになっちゃったんだろうなと、落語の噺を2本聴く。
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3月27日
 かなり寝た。
 夕方、両親と食事。再開した阪急、スタバでコーヒーを。ふたりともココア・カプチーノが相当気に入ったみたいだ。

3月26日
 しっかり朝飯を食う。
 自粛せず。O-WESTでソウル・フラワー・ユニオン主催の「闇鍋音楽祭」に出演。宮田繁男(Dr)、奥野真哉(Key)。もうごきげんなノリ。今年はじめてのカーネーション。最高なスタートがきれたと思う。
 SFUの至福感溢れるステージを体験し涙止まらず、しばらく楽屋から出られなかった。
 打ち上げ、中川くんと2軒。音楽の話を。縁があったんだなぁと。感慨深い。もちろんラーメンを食して始発。結構混んでた。
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3月24日
 まずは時速6キロで55分間のウォーキング。飽きないコースを作ろう。そしてマッサージ。
BGM : Joni Mitchell 『Ladies of the Canyon』
 
3月23日
 大寝坊。短時間で熟睡しちまった。iPhoneの目覚ましが鳴らなかった可能性もある。メールで目がさめた。あわてて服着て出かける。見事に2時間遅刻。これ、珍しいことなんだけど、じつに申し訳なかった。
 ゲストの奥野くん「直枝くんが遅れてきたからその間に」と、いろいろ細かくアレンジのチェックをしてくれていた。演奏さすが、かなりの密度になっている。
 合間に宮田さんがネットからの情報を口にするたび「まじ?」の連続。Edo River、つまり東京の水が汚染...。あと3号機からまた黒煙?みたいな。放射能の話と演奏の繰り返し。「十字路」「この悲しみ」「やるせなく果てしなく」なんてのは今の心境かと、歌いながらぞっとしたり。
 ニュースの後、スタジオ前の自動販売機の水はすかさず売り切れ。どこぞのおばちゃんが自転車で来て買い占めているらしい。
 こうなったら食べたいものを食べる。それがテーマでいいじゃないか。というわけで西荻窪で飯。大好きな洋食屋さんでハンバーグ+エビフライ+エビクリームコロッケの定食。特に今、あらためて食事のありがたみを感じるから、涙がでてきそうなほどおいしかった。ビールとやけに酸っぱい赤ワイン。電車ではTwitterを眺める。
 千葉のコンビニにはさすがに水はなかったけれど他の飲み物は結構あった。コーヒーゼリーとお茶を買う。
 夜中のNHK。被災した高校生が懸命にかたずけをしている中でこう言った「自分の将来より地域のことの方が心配だ...」。まいった。
 そしてマダムギター長見順さんが福島でがんばっているのを知る。http://junnagami.exblog.jp/ 
 イチジクのパンを食う。で、寝ようとするのだが、最近、早朝に地震が多くて眠れない。結構いやな感じの揺ればかり。来るな!
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3月22日
 というわけで10時半に起きて出かける。傘さしてお茶の水の坂を下りてエチオピア。野菜カレーの辛さはリハ前だし適度に10倍。待っている時に一度かなり激しい地震速報あり。一心不乱に食べた。旨かった。嫌な事は何一つ考えなかった。チャンスがあれば好きなものを食べよう。
 西荻窪でリハ。
 今日は宮田さんを迎えてトリオ。型が出来上がってきている。いい具合に。無駄話をたっぷり、あとは無理なく練習。程よく。休憩時間にスタジオに流れていたヤードバーズ「幻の10年」のライヴ映像をゆるずと眺めて笑う。
 横尾と中華っぽい店で軽く飲み。Live Carnationを利用するチャリティは一切やめよう、そういうことはしかるべき機関に集約した方がいい。音楽を絡めるのなら行動を起こす自分に酔っていないか(結果的にプロモートが目的になっていないか?)しっかり確認しないとだめだというような話をした。
 千葉のコンビニ。夜なのに食パンがいくつも残っている。買い占めもだいぶ落ち着いてきたみたいだ。
 今日の原発の状況はまだよくわかっていない。こういう場合、出かけている方が精神的にもいい。
BGM : Joni Mitchell 『Ladies of the Canyon』

3月21日
 急ぎ必要なのは体力と気持ちの回復。
 すごく小さいシンプルなところから心の復旧のための見直し。聴く音楽のセレクトを極限までにしぼったり、目覚めるまで眠ること。動けるようになったら仕事は動く。実際、明日からリハ。
 夕食は野菜ラーメン。腹が減ったらチーズとかピーナッツを齧って、夜食に卵かけごはん。地味だ。
 ニュースによればそろそろガソリンも入れられるか?
車に乗れるようになったら気分にリズムも出るだろう。
 今日、3号機から立ち上った黒煙、見ようによっては悪魔が逃げ去るようなイメージではあったのたが、しかしその直後2号機から白煙...。気を抜かないで祈らないと。
 また朝5時に大友良英Ust。この演奏を勝手に「過去への追悼」のつもりで聴く。
 世の中の変革は近いと確信していた時のまさかの3.11。皮肉にも自然やたくさんの犠牲を伴ってあわてて、人は考え方を変えるしかない状況に置かれた。生きるために以後、いったいどれだけの勇気が必要なのか?
 寝る前に考えたことは「リハ前にエチオピアの野菜カレーでも食いに行くか」だ。だってすごく疲れて弱っている。もうまいったというくらい辛い物を一心不乱に食べたい気分だ。
BGM : Joni Mitchell 『Ladies of the Canyon』

3月20日
 一見通常通りだが、常磐線、山手線、京浜東北、どこも乗り継ぎがうまくない。こちらの時間の感覚が狂ってる。階段を上る速度までも。そして外を出歩くにもなんらかの覚悟を持ちつつ歩いている。これは今の東日本の人間ならみんなそうだと思う。
 実家へ向かう。大井町の阪急が再開したので長い列に並び、親に頼まれていた刺身とあんドーナツを買う。千葉にくらべたらここには食品が驚くほどあった。飯を食ったらソファで寝てしまった。
 あれから10日たった。でも両親の明るい顔を見てまだ大丈夫だと思った。
 やっぱり電車は若干空いてる。千葉のコンビニはがらがらで何も買う物がない。
BGM : Joni Mitchell 『Ladies of the Canyon』

3月19日
 いくら疲れているとはいえ、なんという睡眠欲。どこまでも眠った。
 たまごサンドウィッチを食す。
 夕方、茨城で震度5強。玄関を開けるが、近所まったく動じていない様子。年配の方々が多い地域だけど。
 SFUの奥野くんから連絡あり。ようやく闇鍋の演奏曲が決まる。
 少しテレビから離れる。発送が遅れていた岡村みどり『ブルースでなく(Mint-Lee)』がようやく届いたので聴く(商品化される前のCDRは頂いていたんだけど)。「あんこ屋くる」「みかん屋くる」「表層の魚」...ストレンジで素晴らしい。
 眩しい満月。あまりに強力だから願いをかけた。あと一週間たてば偶然に重なりすぎた事象のピークも過ぎ去るような気もする。
 録画していた『ツイン・ピークス』の続きを観終わってNHKをつける。東京消防庁の会見。
 珍しく『Cloud』を聴いたけど今の気分には重い。やっぱり眠る前にまた『Ladies of the Canyon』。このアルバムのテンションがしっくりくる。ジョニ依存症。
BGM : 岡村みどり『ブルースでなく(Mint-Lee)』 

3月18日
 朝5時にイッシーさんの店から中継された大友良英Ust。気合いのフィードバック。
 トーストを一枚。目玉焼きにウィンナ。コーヒー。普通の朝飯。
 ギターを背負って久しぶりに電車。表参道で山口マオの展覧会を観る。27年ぶりに会った山口くんは全然変わってない。横尾も到着したのでそこで編集者のKさんも交えコラボ絵本の打ち合わせ。きっと面白いものができあがるはず。
 渋谷の事務所まで歩いている途中で古本屋さんの百圴ワゴンを見てたら函のH.メルヴィル『詐欺師』を発見し購入。
 街は人がまぁさすがに多い。10年以上ぶりにシェーキーズでピザ。
 クアトロ入り。昨日、宮内くんから連絡をもらい、内容に賛同、急遽チャリティー・イヴェント『勝手にEXNE(Katte-ni East by NorthEast)~Music for TOHOKU~』に参加することにした。
 今日はこれまで我慢してた感情、その残りの分が噴き出してしまったようだ。今、歌うのはきつい、本当に。寒い北国で被災している人たち、全身全霊で戦っている人たちを思うとぼくは陽気になんてふるまえないし、本気で笑えるわけもない...。さらに音楽の意義?意味?テクニック?何それ、みたいな感じ。そんなこと本当は関係ないだろ、今は。まだそういう心境だ。
 最後の吾妻さんの素敵な演奏を聴いていてもどこか心から笑えなくて、逆に不安やいらいらがつのる状態の自分がつらくて、申し訳ないけれど一足先に帰ることにした。
 金曜日の夜、いつもは混み合う千代田線なのに空いていた。駅前のコンビニの棚はがらがら。
 夜道でSFU奥野くんと電話。
 夜中にWOWOWで『ツイン・ピークス』。蘇りの術。
BGM : Joni Mitchell 『Ladies of the Canyon』
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3月17日
 ブラウンノーズ1号から会津若松市に移動したとの連絡あり。2号は東京。避難時、日本酒をちゃんと持っていったらしいし、かなり安心した。
 マッサージ。6キロ歩く。
 夕食はそば屋でカツ丼。ご飯が少なかったし今日はあまりおいしくなかったけど、こうやって食べられるだけいい。
 スーパーにも牛乳がないが、食パン一斤とキャンベルスープを買う。
 今日もひやっとする大きな地震がふたつあった。でもジョナサン・ケイナーの言葉を読んで少し楽になった。
BGM : Joni Mitchell 『Ladies of the Canyon』

3月15日
 行方不明だったいとこのFが見つかったとの連絡あり、安心した。
 10時半、青汁配達の人が「ガソリンスタンド開いてますよ」というので言われたGSへ行ってみたがハイオクはなく、長い列から離脱し近くのマミーマートへ。午前中だが物はあるように見えてもロクなものがない。
 停電が来るはずが来なかった。
 ラジオをつけて仮眠。こういう短時間の睡眠は気持ちいい。目覚める間際、スティービー・ワンダー「太陽のあたる場所」が聴こえてきた。
 豚の生姜焼きを食べ、想定外のディズニー映画「メリー・ポピンズ」を。
 富士方面で6強の地震。祈る。風呂でも余震は続く。
BGM : Joni Mitchell 『Ladies of the Canyon』

3月14日
 もう終わりか?という瞬間が一日に何回もあるなんて...。
 テレビやツイッターのRTや素人考えが不安を煽りすぎる。悲しくてつらつくて情けなくてたまらない。
 そして今日、鉄道はこの町まで来ない。ぼくは地図を見ながら、その地形や距離、境界のありかたで物を考えてきたところがあったから少し感情のバランスが崩れた。
 親の世代はもっと厳しい戦争を見てきている。「なんとかなるよ」という。強い人たちだ。
 この50代の男はもう疲れてしまって何もする気がないが、会報の原稿だけはとがんばって仕上げた。
 夜中についに感情が一気に噴き出して涙がとまらなくなった。こんなに泣いたこと最近なかった。3.11。あの日を境に自分の過ごした時間全部が遠い過去へと流されてしまったように思えた。
BGM : Joni Mitchell 『Ladies of the Canyon』

3月13日
 一日が長い。時間の流れが変わった。
 テレビはあまりに残酷な映像をループしやがる。人間はこのあとどうなるかって、そりゃどこかが狂いだすはず。そしてツイッターに不安のリツートを大量に投げ込む奴、こういう時に軽々しく人を巻き込み、無駄に誘導しようとするな!死にたくない?生き延びたい?西へ逃げたいなら逃げればいい。おれはここにいるしかない。
 宮城、多賀城のいとこのY叔父さん家族も連絡がとれた。
 ほとんど何をしていたかを覚えていない。昼に少し歩いた。夜はパスタを食べた。音楽を聴き始めてもすぐに止めてしまう。
BGM : Loudon Wainwright III amp;creativeASIN=B0012GMWKC">『Album III』
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3月12日
 6時ちょっと前だった。宮城からの朝の電話。いまだ多賀城方面のいとことは連絡がつかないとのこと。どうにもやってられないのでこのまま起きてしまおうと思った。
 母と神社にお参りにゆく。池の大きな鯉たちはちょっと静かで、地震の影響かふらふらと泳いでいるように見えた。夕食用の買い物をして朝食。
 午後、脱力。昼寝。千葉に戻らなければならないのだが、一般道路の混雑や高速の通行止め情報がネットだとなかなか信憑性がもてない。
 原発が爆発というショッキングなニュースに凍る。メルトダウン?ありうる、みたいな。ツイッターでは非常事態と騒ぎ。でもこちらは動けない。
 日本テレビが映した爆発映像を見てさすがに「この世の終わりだ」と思った。なんてむなしい最期だろうと。
 保安の説明はあまりに不十分。ツイッターも不安をあおりだしてきた。みんな生き残るためにいろいろな答えを用意している。とてもかなわないと思う。
 一日中ヘヴィな映像ばかり続いたから母が「しんさん見たい」と言って時代劇チャンネル「暴れん坊将軍」に変えた。そして「(原発も地震も)もういいよ」と吐き捨てるように言った。
 爆発は「水素爆発」。
 高速道路を使わず一般道路で千葉入り。ネットの道路情報での渋滞は間違いで、実際の道はがら空きだった。
 仕事部屋は積み上がってたCDの雪崩。iMacは無事。仕事機材も大丈夫。本の部屋は本の雪崩でドアが開かず。しかし、本当にもういい。つかれた。
 あの瞬間からの一日がすごく長く感じた。それまでは日々時間が縮んでいくような感覚だったのに...。
 星回り的にも昨日が切り替わりの日(牡羊座に天王星入)だった。以後、おそらく世界はものすごい変化を体験するはずだ。
 
3月11日 
 10時に起きてテレビ眺めながら軽く飯。ちい散歩のちいさんはいつも甘いもの食べてるけど、それ見てそそられたためしがない。「甘いもの、甘いもの」と繰り返されるとかえって気分が悪くなる。
 出かけるまでまだ時間はたっぷりあるので二度寝。
 揺れて目が覚めた。今まで体験したことのない大きな横揺れ。棚からカセットがからからと落ちた音で状況ははっきりした。しかしおさまらない。よろけながら窓を開け運河方面を眺める。音と震動、なにより足元がよろけるからその異常がわかる。やばい。廊下をすすんだところで父が顔出した。「玄関あけて、呼んだんだぞ」と言った。あまりの不安定さにテレビを手で支える。「でかいぞ」なんだこれ?と。しかも長い。あまりに。「こんな地震経験したことがないね」とあわててテレビをつける。たしかその時「岩手だ」と父が言ったような気がする。急いで母の店に電話をするも繋がらず。
 外で長いクラクションが聞こえた。
 東北で観測以来最大級の地震。M8.8(後にM9.0に変更)。そのあと何度も揺れた。
 結局、母は連絡ついたが「渋滞だろうから迎えにくるな」と言い切って1時間かけて歩いて帰って来た。もう普通電話も携帯も繋がらなくなった。頼みの綱はツイッターだった。迎えに行ってたら渋滞にハマってしまったはずだ。旧東海道は車でぎっちりになっていた。夜もその列は動かなかった。いざという時のために簡単な食料の買い出しに行った。母に買ってきたドリンク剤を飲ませたら「おいしい」を連発。「そういえば行きにすずめがたくさん道で飛べずにいたよ。やっぱり何か変だったんだろうね」と笑った。
 駅前の立ち飲み屋や焼き鳥屋は営業しているしコンビニも品数は豊富だった。一見、街は平穏にみえた。
 テレビをつけると東北の地獄絵図に切り替わった。
 UST放送は延期になった。父が「昼、なぜか散歩に行きたくなかった」と言った。「守られてるよこの人は」と母が笑った。
 宮城の親戚へはまったく電話が繋がらずだった。
 現状をテレビとツイッターで常に確認した。福島のブラウンノーズが心配でメールをする。夜、宮原からやはり「福島が心配」とのメール。日をまわって1時にようやく「無事です生きてます」との連絡をもらい、とりあえず安心した。
 この世のものとは思えない被災地のまるで龍が怒ったような大洪水映像を眺めているうちに寝てしまい、揺れを何度も体感しながら結局は朝6時に目がさめてしまった。田舎の本家と連絡つく。
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3月10日
 会報用の原稿のでかいやつをとりあえず送信。あとUST番組の準備。何故か気がとっ散らかっていて選曲にかなり悩む。目の前の曲を練習する。荷造りして品川へ。車の中でポケットさぐっていたらカタンと音が。SUICAをシートの隙間かなんかに落とした。探すが見つからず。

3月4日
 7時間睡眠。卵サンド。カレーそば。

3月3日
 昼飯はたまごかけご飯とブロッコリーととろろこんぶの吸い物。
 時間に少し余裕があったので北千住。ふと思い立ち、高校同期のKの仕事場を覗いてみる。そのきりっと懸命に働く姿を遠くから拝見しただけで声をかけずに去る。行ってみたかった日光街道沿いの「りんりん」で300円のラーメン。これがまた昔ながらの味で絶品だった。
 ORINOCO原田氏と六本木で会食。そのまま結局、始発までセイリン・シューズ。

3月2日
 連日、事務所で雑務と打ち合わせ。鼻水とくしゃみが極まっている。
 学友のイラストレイター山口マオ氏から展覧会のはがきが届く。じつは卒業以来27年は会ってないんだけど、なんかいつもどこかで知らずにすれ違ったり会っていたような気がする。彼は千倉出身。幼少時にぼくが体験した幸せな海の温度の記憶もその土地にある。
 事務所近所の「もうやんカレー」でポーク。かなり重く、濃い味だが食はすすむ。10倍食べた感じだと、極辛20倍くらいがベストなんじゃないか?
BGM : グレイトフル・デッド 『ワーキングマンズ・デッド』

3月1日
 事務所で雑務。
 夜、神保町でCDJの藤本さんと会食。ランチョン、そしてもう一軒。楽しすぎてあっという間。
BGM : フェイセズ 『馬の耳に念仏』

(2011.6.25更新)

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直枝政広
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New Maxi Single 『ジェイソン』
2009.4.15 release


『宇宙の柳、たましいの下着』
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『HOPKINS CREEK』
直枝 政広