皆さんお元気ですか。改めまして、カーネーションのA&Rディレクターの本根 誠と申します。このたびのオフィシャルサイトのリニューアルに際してコラムを 書かせて頂くこととなりました。どうぞ宜しくおつきあいください。
 ディレクターの仕事といえば、一に売上・利益。と同時にファンの皆さんを アッと言わせる音楽ができる際の段取り役。だったり同時に少ない予算にめげる ミュージシャンをアメとムチでコキ使うこともしばしばで、担当させて頂いてい るミュージシャンとは愛憎まみれる関係であることが多いのですが、ご多分にも れず、常にギリギリのところでやりあっているカーネーションの現場においては しかし、どんな時にも、ミュージシャンとスタッフが同じベクトルに向かってい る、という確認を彼ら側からしてくれるので、いつも助かっています。過酷なス ケジュールまわりの話の後のほんの一息の合間にも彼らは「近頃はどんなCDを聞 いているのか」とか「こないだ上映されてたあの映画がもうDVDレンタルに出て る。絶対観た方がいいよ」とか、様々なヒントの素を投げかけてくれるのが僕は 嬉しいです。それに常々彼らは(ミュージシャンとスタッフの垣根を取っ払っ て)「わいわいみんなでカーネーションを作っていこう」とも言ってくれています。
 それで僕も、このコラムに参加させて頂くことにしました。勿論僕は個人的に もカーネーションのファンではありますが、彼らのことにまつわる副毒書はファ ンクラブ会報誌“サウンド・ファクトリー”にゆずって、このコラムでは、僕が好 きなカーネーション以外の芸術家達についてのラヴコールにしていこうと思います。
 このコラムを通してカーネーションのメンバー及びファンの皆さんの音楽に対 する聞く耳や、彼らの音楽そのものがよりプログレッシヴなものになるといい な、と僕は祈っています。(偉そうだけど、真剣です)

あぶない幼稚園
 〜股の名を、狂気の助っ人〜

abunai

ボリス・ヴィアンの巻。 

 普通、ヴィアンを紹介するとなると、ファンタジックスラプスティックハード
コアラヴストーリィ「うたかたの日々」や不条理の極み!「北京の秋」のような
文学としての完成度の高いものから勧めるのが通例だけど、今日は僕流に、ジャ
ズ評論家としてのヴィアンをまずは、おすすめ。〔早川書房刊:ボリス・ヴィア
ン全集9「ぼくはくたばりたくない」参照〕
 ヴィアンは1946年からの約十年間、当時フランスを代表するジャズ雑誌だった
“JAZZ HOT”誌に無償で評論、ニュース記事、エッセイ等を書き続けた。で、
ミュージック・ライター、ヴィアンはもう、痛快そのもの!
 日本でいうと、70年代の中村とうようと今野雄二とと鍵谷幸信を足しっぱな
しってかんじのゴリゴリに頑なでありつつのスノヴィッシュぶり。ずうっと読ん
でいくとわかるのだけど、ヴィアンはジャスの趣味については、伝統保持のコン
サヴァ派。しかしかして、更にずっと深く読むとどうやら、ヴィアンはヴィック
ス・バイダーやジェリー・ロール・モートンらのクラシック・ジャズ・プレイ
ヤー達のSP盤を聞きこむうち、会ったこともないのに、彼らオリジネイターの発
するサウンドに含まれる不良っぽさや血なまぐささを聞きわけていたのではない
か、と思えるのだ。実際の彼は、サンジェルマン・デ・プレのカフェで遊び歩い
ていたのだが、文章を読んだだけだともうまるで、52番街でも名うてのジャズ・
ジャーナリストそのものなんだ。勿論、彼はアメリカを代表するジャズ評論家、
ナット・ヘントフと沢山の書簡をやりとりしたし、
ビリー・ホリディやマイルス・デイヴィス、エリントンなど、フランスを訪れる
ミュージシャンとも追っかけ状態で接した。だが、それだけなのだ。彼は39才で
亡くなるまで、アメリカを訪れることは、一度もなかった。にもかかわらず、彼
の評論は、活気に満ちた52番街のざわめきを代弁しているし、ジャズ=小銭の稼
げるワンデイ・ジョブとして接する(主として西海岸の)ジャズマンはこてんぱ
んにやっつけた。まさしくストリートの申し子である。そして、小説の分野でこ
のストリート感覚を僕達に容赦なく魅せつけたのが、ハードコア・クライム・ノ
ベル「墓に唾をかけろ」です。
 当時のヴィアンといえば昼は通産省の研究所でエンジニアとして手堅く稼ぎ、
夜ともなれば、サンジェルマン・デ・プレの“タブー”“フロール”“ドゥ・マゴ”
“オールド・ネイヴィ”といったカフェやバーに出向きトランペットを吹き鳴らす
セミ・プロ音楽家。しかも昼の商売道具である定規やコンパス等を駆使してアブ
ストラクト・デッサンに挑んで個展も開く、ポップ・アート全市の要人でもあっ
た。終戦後のパリには、ビロードの背広にボヘミアン・タイ、あるいはぶっとい
ストライプ模様など、アメリカのジャズマンさながらの格好でナイトライフを過
ごすザズー族(股の名をボビー・ソクサー!)とよばれるユース・カルチャーが
芽生えていて、当時のヴィアンはまさしくこうしたシーンのヒーローだった。
 なので、人一倍金は欲しかった。
 1946年の夏、パリの若者向けに娯楽小説を出版していたザズー族の一族仲間、
スコルピオン社社長のジャン・ダリュアンに「君は英文が読めるだろう。なにか
アメリカの若者を描いた、痛快でヒットしそうな小説を探してくれよ」と依頼を
受け、ヴィアンは「何もアメ公の力を借りるこたぁない」と、わずか10日間で
「墓に唾をかけろ」を書き上げる。ヴァーノン・サリヴァンという偽名で。
 外見は白人にしか見えないが、その実は黒人の子である主人公の無軌道な日々
と、白人のセックス・フレンドたちに自らのルーツがばれてしまい、リドリー・
スコットには絶対映画化してほしくない残酷なやり方で殺人を犯すまでを描いた
この物語は、そのセンセーショナルさでもって即座に十万部を売り上げた(因み
に翌年ボリス・ヴィアン名義で上梓した「うたかたの日々」の初版は800部)。
生前のヴィアンは、<家庭の父親同盟>や<道徳運動カルテル>等から同書のポ
ルノ&残酷な描写を告訴され、偽名がバレて以来、ヴァーノン・サリヴァンとい
うペンネームは、ブギウギ・ストライド・ピアノの巨人、ピート・ジョンスンと
新世代のセロニアス・モンクをつなぐミッシング・リンク・プレイヤ、ジョー・
サリヴァンから拝借したものであることをカミングアウトし、返す刀でフランス
のジャズ・ファンを喜ばせ、48年には、こんどは本物のアメリカのNo1ハードボ
イルド作家、レイモンド・チャンドラー「湖の貴婦人」「大いなる眠り」をつづ
けざまに仏語訳している。ヴィアンはやっぱり小説家、というよりストリート・
ハッスラーという職業形態を創り出そうとしていたのだと思う。
 マルキ・ド・サドの生涯を描いた映画「クィルズ」には、サドの文学の素晴ら
しさを要約した箇所がある。大金持ちの城で働くメイドがこっそりサドの本を読
んでるのがバレてしまった時、彼女は「私達は来る日も来る日も辛い下働きの日
々。ひそかな楽しみにこれらの本を読むぐらいどこがいけないのですか」と申
す。そういえば、ブレヒトの戯曲に出てくるのも、ギャングや娼婦や殺人者や乞
食ばっかだしな。つまり、僕がここで申し上げたいのは、ストリート感覚とは、
何もブルーズやヒップホップなどアメリカの専売特許ではなく、一般大衆という
概念のある国や都市には必ず存在するし、優れた芸術であればあるほど、そうし
た人々からの支持をぬきに存在はできないってことなんです。そう、モノホンの
芸術は、ゲージュツとは縁遠い日々を過ごす人々の支えによってこそ成就をみる
のです。
 そういう視点で改めて「うたかたの日々」を読むと更に楽しい。ヴィアン名義
では47年、ザズー族のやんちゃ騒ぎを描いた「ヴェルコカンとプランクトン」を
上梓し、一部パリのヒプスターの間で注目を集め始めていたヴィアンは「うたか
た…」の序文でこうぶち上げて、しょっぱなから見栄を切る。
--大切なことは(中略)二つのことがあるだけだ。それは、きれいな女の子と恋
愛。それとニューオーリンズかデューク・エリントンの音楽だ。他のものは皆消
えちまえばいい。何故なら、みんな醜いからだ。--
 いわばザズー宣言である。そしてこの後、三組のカップルを軸に進むストー
リィは、その中の一人、クロエの肺に睡蓮の花が咲き、彼女の肺を突き破るとい
う決定的な悲劇に至る。のだが、登場人物はそれとは対照的にスラップスティッ
クかつヴァイオレントな様をみせまくる。タランティーノもびっくりのスノビッ
シュさとでも言えばいいかも。そんな中で、この小説が読者の理解を得て、最終
的には世界中で百万部を越えるヒットになった要因は、あまりにも無防備・無準
備・無作為な、コランとクロエの愛のやりとりが世界中の若者のハートにアタッ
クしたから。
 →書き写すのが面倒です。すぐ本屋に行って第14章だけでも立ち読みなさい。
 こうして、若者を中心としたストリート文化には過激さと、純真さがぐちゃま
ぜに在ることを代弁してみせたヴィアンはその後も、フィリップス社でディレク
ターの職に就き、あからさまな反戦歌「脱走兵」をリリースし、放送禁止にされ
ながらもヒットさせ、また自らも作曲・作詞、しまいにはアンリ・サルヴァドー
ルとのデュオで自作のロックンロール「強烈往復ビンタ」をヒットさせる。と、
ポップ界では主にシャンソンを手がけると思いきや、同時に、ガーシュウィンよ
ろしく「雪の騎士」「フィエスタ」等のオペラも制作。そして戯曲の世界でも
「屠殺屋入門」など、独特の美意識を全開にした作品を発表するのだ。
 それで思うのが、何故ヴィアンは、ストリート感覚を武器に、かくも多くの表
現形態に手をそめたのだろうということ。
 ひとつには金は必要だったろう。ラッパーのKRSワンも、ヒップホップ・アー
ティストは、レーベルから札束でほっぺを叩かれても痛くないように副業をも
ち、生活苦からはつねに距離を置くべきだと言っている。そしてもうひとつ、
ヴィアンが欲していたものは、サンジェルマン界隈の人々からのPROPSー支持ー
ではないかと思う。サルトル、ボーヴォワール、アルトー、クノー、グレコ等
々。ヴィアンが登場する以前からこのエリアで交感しあっていた各界のアーティ
スト達に泡を吹かせ、存在を認めさせること。ヒップホップ・スラングでいうプ
ロップスは、芸術を生む原動力となるのかもしれない。
 かもしれない。ぐらいにしか言えないところもある。僕自身は、何のかんの
云っても、芸術は、シーンやムーヴメントじゃなく、その中や外にいる個人頑張
りや才能によってこの世に生まれると思うから。でも、シーンがないと、その表
現に対する評価も、ハマリなムーヴメントが現れるまでおあづけになってしまう
のも、僕は知ってるし。僕は、カーネーションの音楽を受け止めるフレッシュな
シーンを見つけ続けるのが仕事なのだろうな、とヴィアンのことをいろいろ調べ
て思いました。

「ぼくはスノッブ」 ボリス・ヴィアン

ぼくはスノッブ
オーガンジーのシャツに
ゼビュウ皮のくつ
イタリアン・タイに
虫のくった古着のスーツ
指にはルビー
手ではなくて 足の指だぜ!
爪は真っ黒
小さくて イカしたハンカチーフ

スウェーデン映画をみにいく
ビストロに寄る
ウィスキーも沢山飲む
肝臓病なんて もう時代おくれ
ぼくのは潰瘍だぜ
こいつはザラにないし  烽ュつく

ぼくはスノッブ
名前はパトリック あだなはボブね
毎朝 乗馬に通う
あの馬糞のにおい大好き
トロンボンみたいな名前の
男爵夫人としかつきあわない
女を抱くときも
中庭ですっぱだか

毎週 金曜日になると
スノビズム・パーティー
コーラもあるけど みんな大きらい
カマンベール・チーズも
小さなスプーンで食べるんだ

ぼくはスノッブ
その菌に すっかりやられてる
ジャガーで事故って
8月はベッドですごす
こういうディテールで
スノッブかどうかはきまるのさ
ぼくはスノッブ
さっきよりずっとスノッブ
ぼくが死んだら
ディオールの屍衣をかけておくれ
         (一部省略)